第2章 イヌ
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ライオンと似ているとされる(別名、ライオン・ドッグ) 中国では獅子こそが、中国でライオンを表現する際のモデルとされた
獅子のもっともライオンらしい特徴はたてがみ
もっともライオンらしくない特徴は、鼻先の著しく押しつぶされた四角い顔
たてがみも平たい顔もペキニーズの際立った特徴
少なくとも2000年前までさかのぼることができる
品種の標準的な特徴を記したもっとも古い文書が残っている品種でもある
1861年から1908年まで中国清朝の事実上の支配者であった満州族出身の西太后が書かせたもの
ところが、オオカミとペキニーズは、遺伝的にはほんのわずかしか違わない
オオカミはペキニーズよりもコヨーテのほうによほど似ているが、オオカミとコヨーテよりもオオカミとペキニーズのほうが遺伝的にはずっと近い オオカミからペキニーズを作るのは、思ったよりも長くはかからない
実際、ダーウィンが予想したよりも短期間
進化的なタイムスケールから考えると、瞬きするほどの時間に起こった
人間が手を下して進化を引き起こすことにより、オオカミをもとにした新たなものを作り出すことができた
オオカミと人間は何千年も前には敵対的な関係にあった
その意味でもオオカミの家畜化は注目すべき出来事であり、家畜化された動物の中でもイヌは特別な存在なのだ 家畜化によるイヌの進化では、家畜化以前の長い年月にわたる自然選択による進化が多くの点で逆戻りしている オオカミには自然選択による進化の過程で得てきた性質があり、その性質があるがために、人間ができることは制限され厳しく束縛されていた
つまり、イヌの性質は多くの点であらかじめできていたことになる
オオカミの家畜化は、更新世に狩猟採集民の野営地のまわりをオオカミがうろつきだした頃に始まったと考えられるが、オオカミからイヌへの進化を物語るには、それよりずっと前に遡らなければならない 家畜化が始まる前
短期間に長距離を移動できる身体的能力
そのイヌ科動物の標準からしても、オオカミの移動性はきわめて高い
獲物を何キロも追いかけて披露させるのが普通
またイヌ科のうち、集団で狩りをするのはわずか3種だけで、オオカミはその一種でもある
(注. アジアとアフリカの野生のイヌ科動物は、ほとんどいつでも社会的なグループを形成しているが、オオカミは単独行動することもある。インドなど、大半の狼が一年のうちかなりの期間を単独で過ごす地域もある)
かつてオオカミは地球上でもっとも繁栄した捕食者の一つだったのも、社会的に協力し連携する能力のためだと考えれば納得がいく
オオカミの若者は、多くのイヌ科動物の標準よりも長く親のもとにとどまる
例えば、キツネは離乳すると親離れするのが普通
オオカミの場合、若者は長期にわたり親のそばにいる
次の子が生まれてもなおそのままということもある
このようにして群れ(パック)ができていく
この延長された依存期がオオカミの家畜化に重大な影響を及ぼした
家畜化以前、オオカミは地球上でもっとも広く分布する哺乳類として一、二を争い、北極地方から亜熱帯地方まで、北半球の北米大陸とユーラシア大陸に広く分布していた また、北極地方のツンドラから深い森や半砂漠まで、さまざまな生息環境を支配してもいた
種として極めて適応力が高い
広大な地域の多種多様な生体環境内に、遺伝的に異なるオオカミの集団が複数存在していたが、高い移動性と適応力のため、集団間で十分に遺伝子のやりとりが行われ、種分化は避けられていた 種分化とは祖先の種から複数の種が形成されること。集団が地理的あるいは生殖的に隔離されて他集団との間で交雑が怒らないと、遺伝子のやり取りが行われず、その集団は独自の進化をすることになる。その状態が長く続くうちに他集団との遺伝的差異が大きくなり、新たな週の形成につながる可能性が大きい 家畜化が始まった頃
いつ、どこで家畜化の過程が始まったのかについてはいろいろと議論されている
だが、この骨やヨーロッパの洞窟で発見された他の骨が、本当に家畜化以前のものなのかどうかについて、まだ結論は出ていない(Greger Larson, e-mail, Feburary 12, 2014)
イヌの家畜化の始まった時代や場所について、遺伝学的な面でも決定的な証拠はない
ごく最近まで、イヌの家畜化発祥の二大候補地は東アジアと西アジア(中東)だとされていた
本書の趣旨として重要なのは、オオカミの家畜化がどのようにして起こったかということ
オオカミの家畜化はまずオオカミ自身が開始した
そのためには、進化の過程で身についてきた心理的な障壁を乗り越える、あるいは少なくとも緊張を和らげる必要があった
この自発的な人馴れの過程は標準的な自然選択によって成し遂げられた
人間の野営地周辺をうろつくオオカミのなかでも、人間のそばにできるだけ近寄れるものほど食べ残しを多く手に入れ、そのため、「野性味の強い」仲間よりも多くの子を残した
この自然選択されてきた従順性が、オオカミがイヌらしくなる最初のステップだった これには何千年もかかったかもしれない
ある時点で、これらのイヌ的オオカミに対する人間の態度が変化した
イヌ的オオカミはおそらく当初は見張りとして役立っただろう
優れた嗅覚と聴覚をもつオオカミが、初期警戒システムとして機能するようになった
重要なのは、この役目を果たすためには、家畜化がそれほど進んでいる必要はなかったということ
1万5000〜1万2000年前、一部の人間社会は定住傾向が強くなった
おそらくそれが家畜化の過程を加速して、イヌ的オオカミからイヌへの変化を開始したと考えられる
人類と家畜化されたイヌとの間にもっと親密な関係があったことを示す、考古学上の決定的な証拠がある
最初に提示されたのは、ヨーロッパの旧石器時代末期の地層の数カ所で見つかったイヌの埋葬後
例えば、ドイツのボン=オーバーカッセルで発見された埋葬跡は、約1万4000年前のもの(Nobis, 1979) 重要なのは人間と一緒に埋葬されていたこと
時代的には、北半球で更新世の氷冠が溶け始め、生態系に大規模な変化が起こった頃のこと また、人間の狩りの技術が変化した時期とも一致する
旧石器時代以前のハンターは、主に手斧や手槍で獲物を殺していた
そういった武器を用いるには獲物にかなり接近しなくてはならない
1万2000年前までにヨーロッパでもアジアでも大きな技術的進歩があった
細石器と呼ばれる小型で尖った石の破片を槍の先端につけ、投げ槍として用いるようになった このように狩りの技術と戦略が変化したあと、家畜化されたイヌは傷ついた獲物を追跡し、またおそらく追い立てるなどして特に役立つようになっただろうと示唆されている(Clutton-Brock, 1995) この時代以降、広く世界各地でイヌは人間の文化に急速に組み込まれていったが、協力して行う新しい狩り戦略が登場したことが、その理由の一部だったかもしれない
イヌの生息域の拡大
オオカミの生息域の南部にあった、農業化された社会にも出現し始めた
メキシコでは約5200年前にコスカトラン洞窟にて、サハラ以南のアフリカでは約5600年前(Gautier, 2002)、東南アジアの大陸部では約3500年前のこと その後しばらく経った約14000年前頃、家畜化されたイヌは南アフリカに到達した
イヌ家畜化の初期にまず起こった身体的変化の一つとして、サイズが小さくなったことが挙げられる
この生息域拡大の時期、イヌは狩りの助手として用いられたり、ペットとして愛玩されたりもしただろうが、ほとんどのイヌは単に見張りとして役立つだけのものだった
餌はイヌ自身が主に人間のゴミ捨て場から調達した
ゴミあさりは自然選択による行動や解剖学的構造の変化につながった
このサイズの縮小は、人間が関係したことによる自然選択の枠組みの変化が原因となって始まった
人間が居住していない地域では、特に他のオオカミとの関係上、小さなオオカミのほうが不利である
人間がいる環境下では、それほど不利ではなくなり、時には有利になることさえある
たとえば、体が小さいほうがエネルギー必要量は少なくて済む
小さめのオオカミは、大きめのものより人間の近くにいようとした
そのため、大きめの仲間に比べて相対的に高い従順性を進化させたのかもしれない
そうこうするうちに、体のサイズによって遺伝的な多様性が見られるようになったのかもしれない
小さめのオオカミがある程度の従順性をもつようになると、人間の注意を引くようになっただろう
西アジアの初期農業の開拓地では、人間とイヌの相互作用が高まって、小さいサイズを選び出す人為選択が行われるほどになった
人間のいる環境では、生理的な面でもオオカミとの違いを作り出した
農業の到来と共に人間の食事はデンプン質の多いものへと変化した
ということは、残飯もデンプン質が多くなったということ
ヴィレッジドッグはこの高デンプン質食に適応し、それによってオオカミからさらに遠く離れるように分岐し、人間のそばにいる方向へと向かった ゴミ捨て場から手厚い埋葬へ、そしてまた逆戻り
人間がイヌ的オオカミを好むようになってからも、オオカミは相変わらず忌み嫌われる存在だった
だが、イヌ的オオカミがイヌに姿を変えたあとでさえも、自らが作り出したイヌに対する人間の態度は一様ではなかった
たとえば、ごく最近まで、人間の最良の友はペットとして可愛がられる一方で、それと同じくらい食料として食べられてもいた
その進化の歴史の大部分を通じて、イヌは食料として人間のために大い役立ってきた
その一方で、別のイヌを狩りのお供にしていた
イヌの毛皮も重宝された
埋葬されたイヌから示されるように、旧石器時代人たちはイヌを実用性一辺倒でとらえていたわけではない
食用犬と非食用犬を区別しているようではある
非食用犬と表現するのは少なくともアボリジニーはイヌをペットとみなしていないから アボリジニーのところにいるイヌは餌をもらうことはなく、自分で調達しなければならない
ヴィレッジドッグと同じ状態
アボリジニーが食用犬と非食用犬を区別する一つの方法は、非食用犬に名前をつけること
農業革命のあと、人間が定住するようになってくると(今から9000年前)、イヌを非実用的な対象として見る傾向が強くなった
今から4100年ほど前、エジプト(中王国時代)の墓の内部にはイヌが人間とともに伴侶として描かれていた
このイヌたちも名前をつけられていた
その後、彼らは人間と一緒にミイラにされた
このミイラは1902年にアドビスで発見された紀元前4世紀のもの。Janet Mongeがペンシルヴェニア大学でCTスキャンにかけた 古代ギリシャでは、イヌは長らくその忠実さを称賛されてきた
ローマ人は少なくとも古代ギリシャ人に劣らずイヌを称賛した
ローマのカルタゴでは、人間の足下にイヌが伴侶として埋葬されていた
遺跡の名にちなんでヤスミナと呼ばれるようになったそのイヌの肩のわきには、ガラスのお椀がそっと置かれていた ヤスミナはかなりの高齢まで生き、死んだ時はよぼよぼになっていた
関節炎を患い、肩は脱臼、脊椎も傷んでいたので、動くのにかなり不自由しただろう
ヤスミナは明らかに手厚く世話されていた
彼女が愛玩以外役に立たないトイ・ブリード(小型種)だったのも重要なこと ローマ時代のイギリス(ローマン・ブリテン)には、もっと不運なイヌたちもいた
骨の数から考えるに、むしゃむしゃと平らげられたに違いない
その理由の一つは、おそらくトイ・ドッグが富や地位と結び付けられるようになったからだろう トイ・ドッグと社会的地位との結びつきは今日に至るまで続いている。
ヨーロッパでは、ペットのイヌと食料としてのイヌという区別が中世になってもまだまだ続いていたが、他の地域ではイヌを後者だとみなすことが明らかに多かった
特に北米でそうだった
この見解が正しいかどうかはさておき、グリーンランドから中央アメリカに至るまで、ネイティブ・アメリカンはイヌをよく食べていた 注. イヌを食用にするのは新世界に限った話ではない。ヨーロッパでも鉄器時代のフランスではイヌが食べられており、ルヴルーにイヌの養殖場があった証拠もある。北スロヴァキアのラテーヌにあったケルト族の村からは、ヨーロッパでのイヌの食用が少なくともローマ時代まで続いてたという証拠が得られている(Chrószcz et al., 2013) 新世界ではかなりの大昔からイヌが食べられていた
その骨には人間の消化系を通過した明らかな証拠が見られる
古代のネイティブ・アメリカンは、おそらく機会があればイヌを食べていたのだろうが、メキシコに都市国家が成立して以来、イヌは事実上、食用として飼育されるようになった
このメキシコ産のイヌが先に述べたような高デンプン質食を消化することができたのは明らかだ
中央アメリカのチチメカ族はアステカ族の祖先だが、「イヌの民(ドッグ・ピープル)」と呼ばれていた アステカ族自身は王族の祝宴に供するために毛のない品種を作り出した
おそらく毛が生えていない方が焼き肉にしやすかったのだろう
北西方面のナヤリト州やコリマ州、ハリスコ州では、イヌがかなり昔から食用目的で育てられていた
ぬいぐるみのような小柄で肉づきのよいイヌの姿をかたどった、素晴らしく繊細で写実的な焼き物が何点か残されている
休んでいるところや活動しているところなど、様々なシーンがとらえられている
この焼物のモデルになったイヌは明らかに太っていた
愛嬌のある太っちょ犬が、台所で料理の材料にされるまで家の中を自由に走り回っていたかもしれない
古い時代、ブタもそうやって育てられていた
愛嬌あふれるイヌの中にはペット種の祖先となったものもいたことだろう
メキシコの太平洋側にあるチアパス州クアウテモックはサンロレンソと同緯度で、オルメカ族と同時代の人たちが住んでいた 彼らのイヌに対する扱いはオルメカ族とはまったく異なっていた
ところが、オルメカ族との間で交易がもたらされるようになってから、イヌが他の残飯と一緒にゴミ捨て場から見出されるようになる
新世界の大部分の地域でも、イヌは食材とペットという両極端の間を揺れ動いていただろう
メキシコ北部最大の居住地はセントルイス付近のカホキアだった
このミシシッピ文化期の遺跡として、土を盛り上げて築いたスケールの大きな土塁がいくつもあるのが有名
1540年、エルナンド・デ・ソトがその地に到着した頃、ミシシッピ文化は消滅していたが、その末裔たちが、スペイ人征服者にイヌのバーベキューを振る舞った 遠征隊員の一人であったロドリゴ・ランゲルによれば、イヌたちはネイティブ・アメリカンの家で育てられたという
数世紀前のメキシコ西部と同じ状況だったわけだ
デ・ソトの個人的な秘書だったランゲルは「インディアンがやってきてトウモロコシを少し、雌鶏を多数、数匹の小さな犬をくれた。犬は食用だった。小さなほえない犬で、屋内で食用として育てるのだ」と書いている。("Rodrigo Rangel's Account, Part 2, " FloridaHistory.com)
東アジアと東南アジアではイヌの肉は珍重され、アフリカの一部地域や太平洋の島々の多くでも同様
今日でもなお韓国やフィリピン、西アフリカでは、イヌは食用として飼育されている
ベトナムではタイの飼育場から大量に輸入されたものを中心に、年に100万匹以上のイヌが食べられており、その消費量はさらに上昇中である(Craig Skehan, "Dog-Meat Mafia: Inside Thailand's Smuggling Trade, " Globe and Mail, May 20, 2013. 食用にされるのはほとんどが野犬である)
ヴィレッジドッグ
イヌと人間は歴史を長く共有しているが、そのうちの大半の期間において、人間の野営地の周囲をうろついていた先祖とあまり変わらぬ生活を送っていた
違うことといえば、人間の定住傾向が昔よりも強くなったことぐらい
今日、多くの発展途上国には8000年前に存在していた祖先の大多数とよく似たイヌたちが見られる
祖先と同じように、人間の家の外で生活し、餌をあさっている
自分で選んだ相手とつがっているのが特に重要な点
ヴィレッジドッグが寛容に扱われることなどないようだ
タイの田舎では、ヴィレッジドッグが車やトラックに轢かれても、そのまま打ち捨てられ、他のヴィレッジドッグなどが死体をあさる
アジアの他の地域やアフリカ、南米のヴィレッジドッグも同じような扱いを受けている
北米も以前はそうだった
アメリカでは、ヴィレッジドッグはネイティブの人間以上に厳しい状況に陥って、事実上絶滅してしまい、ヨーロッパ産の品種に置き換えられたのである
カロライナドッグという品種が北米の在来種の生き残りといえなくもないが、現在のカロライナドッグはほととんど復元されたものである ヴィレッジドッグは人間の愛情に頼って生きていくのではなく、自ら苦難に耐えていく生き物
どの大陸で暮らしているかを問わず、世界中のヴィレッジドッグには共通の特徴がある
その特徴から、今から8000年前の原ヴィレッジドッグが、どんな姿でどんなふるまいをしていたか推察できる
ほとんどは(現在の犬種で言えば)中型犬の範疇のサイズだった
毛皮はすべすべしており、毛色はさまざまあで斑のものもいた
四肢はオオカミよりも短く、歯は比較的小さめ
尾は上向きに曲がり、鼻づらはオオカミよりも短めだった
行動的な特徴としては狡猾で用心深かったが、なかには数少ないながら人間に飼われるものもいた
おそらくもっとも意味深いのは群れ(パック)をなそうとしなかった点
仮に複数の個体が集まっていたとしても、序列のない場合が多かった
つまり、個体間の行動面ではオオカミのもつ社会性はなにがしか失われ、高度に発達した順位制はなかったのだ
そのため、ヴィレッジドッグはオオカミよりも潜在的な繁殖力が高い
オオカミの社会では、最上位の雄と雌の一頭ずつだけが子をもうける
一方、ヴィレッジドッグの社会では誰もが子をもうける
さらに比較的子をもうけやすいという性質を得た結果、重要な違いが生じた
これはたとえば毛色のバリエーションなどに反映されている
5000年前のヴィレッジドッグは、人間を除けば、地球上でもっとも分布域の広い哺乳類だった
分布域が広いと地理的な条件による遺伝的分化が起こりやすくなり、集団が下位集団に細かく分かれるのが普通
下位集団レベルでの遺伝的分化の程度は、移動性や、海洋や砂漠、山地といった地理的障壁などを含む多数の要因によって決まる
野生のオオカミは、これまで述べてきたように家畜化に先立って下位集団間でそういった遺伝的分化を示していた
原ヴィレッジドッグはオオカミよりももっと広く分化してたため、遺伝的分化の過程が加速した
今日のヴィレッジドッグは個体群間で見られる遺伝的な違いにそれが反映されている
たとえばトルコの高地や、ロシアのツンドラ、米国カロライナ地方の広葉樹林など、細かい地理的スケールで見ると、ヴィレッジドッグはそれぞれの生息環境に適応して進化している
これら局所的に適応したヴィレッジドッグは「在来種」と呼ばれ、最初のヴィレッジドッグと現代の犬種とをつなぐ重要な存在である 在来種は物理的な環境要因だけでなく、人間という環境にもよく適応している
人間の文化的環境の影響を大きく受け、特定の文化において望ましいとみなされる機能をもつように人為選択された在来種が、わたしたちが現在知る犬種の素材となったのである
いまだ残っている最古の在来種のいくつかは、ディンゴというグループに属している その経路に沿って、タイ北部からパプアニューギニアに至るまで、さまざまなディンゴ集団が生まれていった
3500年ほど前、オーストロネシア人はオーストラリアの北岸にたどり着いたが、そこでぐずぐずせずに東へ向かって船出した
おそらくアボリジニーに無理やり押し出されたのであろう
しかし、家畜化されたディンゴの一部はそこで船を降り、うまく生活していくことができた
この頑健なディンゴの子孫が熱帯雨林、ユーカリ森林、山岳地帯、草原地帯など、極度に乾燥した内部砂漠を除くオーストラリア大陸全体に定着していったのである
それより5~4万年前に到着していたオーストラリアとニューギニアの先住民は、それまでイヌのような生き物と接した経験がなく、新たにやってきたディンゴを特に役立つとは考えず、新たな食料になるかもとしか思わなかった
いずれにせよディンゴを家畜化しようとすることはほとんどなかった
実際、オーストラリアのディンゴは単に野生化しただけでなく、まさに野生のオオカミと同等の位置を占め、この大陸で捕食者の頂点に立った
だが、18世紀にヨーロッパ人がイヌを連れてやってくると、当然のことながら、ディンゴと交雑した
このような交雑が起こったにもかかわらず、行動的にも解剖学的にもディンゴは家畜化されたイヌとオオカミの中間的な性質を示す
またディンゴは家畜化された祖先のもっていた上向きの尾や毛色を受け継いでいる
だが、群れを形成して最上位の雄と雌一頭ずつだけが子をもうける傾向を示す繁殖期があり、家畜化されたイヌのように一年中繁殖可能ではない
また、遠吠えはよくするがほとんど吠えない
オーストラリアとニューギニア以外のディンゴでは、これらの性質はどうなっているのか
たとえばタイのディンゴは家畜化傾向が強く、人間と親しみやすく、長期にわたる関係を結びやすい
オーストロネシア人がオーストラリア北部に束の間立ち寄った時点でのディンゴはすべて、現在のタイのディンゴとおおよそよく似ていたと考えられる
オーストラリアのディンゴは家畜化過程の逆行した姿なのである
ここで気をつけたいのは、この逆行は、イヌの家畜化過程の比較的初期段階で起こったということである
ディンゴの家畜化された祖先は、ペキニーズなどの現代の犬種のほとんどに比べて家畜化の程度は低かったのだ
たとえば、プロスペクトパーク動物園(ブルックリン)のディンゴのアイコンはオオカミとイヌを足して二で割ったようなもので、ディンゴがイヌ的オオカミのようなものであることを示唆している
「古代犬種」
在来種から原品種への変化は、人間の積極的な介入が引き起こした すでにきわめて人間の環境に適応した在来種を相手に、介入が始められた
ここでの環境というのは、特に人間の文化的環境を意味している
この変化が始まったのは、地理的に異なる三つの文化圏である
パレスチナからアフガニスタンにかけて、西アジアのナトゥフ文化の子孫が農業と牧畜を営む地域
東アジア、特に中国と日本
亜北極圏文化を含む北アジア
この用語には問題がある
犬の品種、すなわち犬種という概念は19世紀に作り出されたもの
もともとバセンジーは弓矢を用いる狩猟の際、獲物を追い立ててうっそうと茂る植生の中を追跡させるために飼育されていたもの
この任務では服従することよりも運動能力の方が重視された
今日でもバセンジーは服従の度合いでは最低ランクに置かれているが、現存する犬種中で運動能力の高さでは一、二を争う
理由はともかくバセンジーは後ろ肢で立つのが特に上手
バセンジーの行動的特徴で最も際立っているのはヨーデルを歌うような鳴き声
バセンジーはまったく吠えない
そのヨーデルは、ディンゴの在来種であるニューギニア・シンギングドッグの声に似ている
サルーキは、アフリカ北部の遊牧民が飼育繁殖したと現在では考えられているもので、(グレーハウンドと同じような)視覚ハウンド(嗅覚よりも視覚を頼りに獲物を追う猟犬)であり、主に開けた土地でガゼルやノウサギを追い込んで殺すべく、スピードと持久力を重視して育種されている アフガンハウンドも視覚ハウンドで、同じように獲物を追い込んで殺すために育種されているが、活躍の場は岩だらけの山岳地帯
ただし、近年、アフガン・ハウンドの古代犬種としての位置づけは疑問視されている
かなり北方の地域では、まずスピッツタイプの三犬種が、まったく異なる目的のために作出された スピッツタイプはオオカミ的な形質を多く残す、あるいは再獲得した犬種すべてに対する呼称 スピッツタイプの犬種と在来種のほとんどはアジア、北米、およびヨーロッパの北方地域が原産地
この三犬種はどれも、ウマなどの他の荷物運搬用の家畜では不都合な極地環境において、人間や物資を運ぶために作り出されたもの サモエドはそれに加えてトナカイの番をするのに用いられたのかもしれない これら三犬種とオオカミの遺伝的類似性は大昔からのものだと考えられている
だとすると、これらは真の古代犬種ということになる
だが、オオカミのDNAを近年になって導入されたために遺伝的な類似性が見られるという可能性もある
後者のルートによってオオカミらしくなることが実際にあるため、イヌの系統樹を作成しようとするとややこしいことになってしまう
緯度が高くオオカミが比較的豊富に残っている北方地域にはこれがよく当てはまる
いわゆる古代犬種の大多数は東アジア原産である
日本原産のスピッツタイプのイヌは柴犬と秋田犬の二犬種 いずれも狩猟犬として育種されたもので、秋田犬はイノシシやクマを相手にする 非スピッツタイプのラサ・アプソはチベット原産で、現地ではチベット王族の屋敷の番犬としての役目を果たしていた これら中国産の犬種についてもっとも目立つのは、中型のスピッツタイプ犬であるチャウ・チャウを除いて、どれも主に室内のペットとして飼われてきたということ
これらの犬種の多くは、独立心旺盛で超然としているといった、他の犬種とは明確に異なる性格的特徴を備えている
イヌに関わる人達の多くにとってこれはあまり望ましい性質ではない
概して、こういった古代犬種は他の犬種ほど人間社会にべったり依存せず、調教可能性という点でのランクが低い
犬種によっては(秋田犬など)このような性格の特徴が、オオカミとの遺伝的な類似性の高さを反映している場合もある
だが、東アジア原産の犬種は普通のヨーロッパ原産の犬種と選択体制が異なっていたので、その違いが超然としていることや独立心として現れているだけという場合もある
在来種から現代の犬種へ
現代の犬種のほとんどは、様々な在来種を祖先として、つい最近作り出されたもの
それらの在来種は、それ以前にすでに人為選択によってさまざまな目的にかなうように作り変えられていた
つまり、ディンゴの祖先やバセンジーよりもかなり高度に家畜化されていた
この在来種→犬種への最近の変化は、ヴィクトリア時代の1873年、イギリスで最初のケネルクラブが設立されてから起こったものである
ケネルクラブは、当時既にあった競走馬など家畜の登録システムをモデルとして作られた
当初は遺伝的に異なるイヌの系統を保存することを目的としていた
しかし、初期に設立されたいくつかのケネルクラブはあっというまにそのモデルから逸脱していった
当時、イヌの特定の形質と社会的地位の高さを結びつける風潮が強まり、当初の目的はそれに飲まれて押し流されてしまったのだ
祖先の在来種は何らかの用途のために作られてきたのだが、現代犬種でもてはやされた形質の多くは、本来の機能とはほとんど関係のないものだった
たとえばプードルは、水場での獲物回収を効率化するために、ウォーター・ドッグ(水鳥狩猟用のイヌ)として進化してきた在来種から作り出されたもの カールした被毛はこの仕事にうってつけだったが、のちにその被毛はトリミングを施されるようになった ヨーロッパ産の現代の犬種は、本来どういう行動を目的として育種されたかによって、牧羊犬、視覚を頼りに獲物を追う視覚ハウンド、嗅覚を頼りに獲物を追う嗅覚ハウンド、狩猟の獲物を回収するレトリーバー、番犬などといった、様々な機能別のグループに分類できる こういった作業犬がペットにされることもあったとはいえ、19世紀まではそれはごくまれであくまで二次的なことだった
視覚ハウンドや嗅覚ハウンドなど、ある特定のグループに属する複数の犬種は、異なる環境や文化のもとで独立に出現した可能性がある
逆に、視覚ハウンドに属する犬種のほとんどは共通祖先から派生し、嗅覚ハウンドに属する犬種はまた別の共通祖先から派生したという可能性も考えられる
最近の研究によれば、古代犬種を除き、ある特定のカテゴリーに属するヨーロッパ産の犬種同士は、他のカテゴリーに属する犬種より同じカテゴリーに属する犬種と近縁である傾向が見られた(VonHoldt et al., 2010) 機能と系統間のこのような関係は西ヨーロッパ、特に英国(および以前の植民地)に限った話である。もっと広い地理的なスケール(たとえばユーラシア大陸など)で系統的な関係を見るう場合は、地理的要因の重要性が大きくなる
ということは、こうした機能別のカテゴリーに属する犬種は、収斂進化によって出現したというよりは、共通祖先から派生した場合の方が多いようだ
この意味で、機能別のカテゴリーに属さない愛玩犬、すなわちトイ・ブリードには、実用的な犬種に比べてかなりの収斂進化が見られる このことを考えると、少なくとも原則的には、特定の地域原産の特定のカテゴリーに属する犬種をたどれば、特定の在来種に行き着くはずだ
だが、そうった推論は、実際にはかなり困難
犬種の適応放散は進化的な時間のスケールからすればきわめて急速に起こったことなので、遺伝子特性があまり明瞭ではないからだ ボーダー・コリーはイングランド北部とスコットランド南部の境界線地域で作られた牧羊犬の在来種だった いずれも同じ頃に進化した犬種である
これらの犬種はすべて、比較的最近の共通祖先から分岐したものだ
コリーの在来種についての議論の多くは"The Collie Spectrum: Understanding the Scotch Landrace, " Old-Time Farm Shepherdによる
英国ケネルクラブは、これらの在来種から多様な品種を作り出した
幸い、イギリス諸島の牧羊犬種など、歴史的な記録が十分に残っていて遺伝学的証拠を補うことが可能なケースもある
今挙げた牧羊犬種は、家畜の前方に出てにらみを利かせるので「誘導犬(ヘッダー)」と呼ばれる。 それ以外の牧羊犬種は、家畜のかかとに噛み付いて追い立てるので「追い立て犬(ヒーラー)」と呼ばれる ウェールズではウシ用の牧羊犬として独自の追い立て犬が進化した
両コーギーの特徴は長い胴と短めの四肢で、かかとに噛みつきやすい体型
だが、ハンガリー産のプーリーや南フランス産のピレニアン・シェパードなど、ヨーロッパの他の地域で作られた牧羊犬種は、イギリス諸島のものとは遺伝的に異なる在来種から独自に派生したことがはっきりしている ということは、世界全体から見て牧羊行動を考慮するなら、共通祖先をもつことと収斂進化の両方が絡んでいるわけだ
これはイヌの他の形質にもあてはまるだけでなく、どんな種でも、また多くの形質の進化についてもあてはまる
収斂進化が起こるため、系統樹のどこか一部分でも再構成しようとするとどうしてもややこしいことになってしまう
イヌの例のように、系統樹のなかでも小枝レベルの分類群ではとくにそう
イヌの系統樹を再構成する
目指すゴール
原生種(かつ、時には絶滅種)の系統関係を整理すること
ある種や複数種からなるグループが他の種からいつ分岐したのか、その年代を見積もること
従来、系統分類学は化石種や原生種の身体的な形質、特に骨や歯など、変化しにくい形質に頼ってきた
最近では、DNAが系統樹再構成のための主要な素材として用いられるようになってきた
ここ数年の間に、様々な犬種の核ゲノム全体を比較して系統関係を整理することが可能になってきた
オオカミの枝から分岐した枝で、現在まで続いているもののうちもっとも古い在来種はディンゴ
オーストラリアのディンゴの祖先もこれに含まれる
この枝は4000年以上前に分岐したもの
次に分岐したのはバセンジーで、おそらくカナーン・ドッグのような西アジアのディンゴに似た在来種から分岐したものだと思われる バセンジーとその他の古代犬種との系統関係を再構成した試案
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イヌの進化において、これ以降の系統樹はやぶのように枝分かれだらけになる
そうなってしまう理由の一部として、19世紀に犬種の爆発的な適応放散が起こったこと、その結果として比較的急速に進化するゲノム配列においてさえ遺伝的多様性が欠乏していることが挙げられる
だが、いくつかの明瞭に異なる枝群、すなわち犬種群を区別することはできる
たとえば牧羊犬は一つの犬種群をなしている
他に、一般的に家畜や人間の番犬として働くマスティフのような犬種群もある 視覚ハウンドも一つの犬種群
嗅覚ハウンド
犬種群同士の関係がある程度示唆される場合もある
たとえば、スパニエルと嗅覚ハウンドは他の犬種グループよりも互いに近縁であるように見えるし、視覚ハウンドと牧羊犬も同様 また、小型の犬種間には近縁な系統関係が驚くほどないことから、小型犬はいくつかの機能別グループ(と「古代犬種」)において独立に作られたものだと考えられる
実際、ケイツ分類学者が諸犬種の系統樹を作り、累計関係を樹のようにあらわせてしまうこと自体、ある意味で驚きなのだ
祖先と子孫間の垂直方向の関係、つまり、ある一つの祖先から二本の枝が生じ、それぞれの枝上の共通祖先からさらに二本の枝が生じ、といったようにつながる関係がわからなければ類縁関係を表した系統樹は描けない
ところが、諸犬種の類縁関係を再構成する際、そのような想定は不確実このうえない
多くの犬種が、現存する犬種や在来種の交雑によって作り出されたものであることはわかっている
交雑は時には類縁関係を表す樹の離れた枝状に位置する犬種間で行われることもある
トイ・ブリードの多くもこのようにして作られた
交雑が起こると類縁関係は網目のようなものに変わってしまう
進化学者はそのような垂直ではない類縁関係を「水平」と呼ぶ
交雑によって生じた水平な類縁関係は、イヌの系統樹の再構成を非常に複雑にしてしまう
これは実際イヌ属全体にあてはまる。
ゲノミクスとイヌの特徴の進化
初見種のゲノム全域にわたる比較によって、犬種間の類縁関係に関する情報だけではなく、それ以外にも多くの情報が得られる
ペドモルフォーシスや家畜化によるものだと説明のつく特徴に加え、イヌの進化に貢献した遺伝的な変化について、なにがしかわかることもある 三つのタイプの突然変異は、バクテリアから人間に至るまで、あらゆる種でよく研究されているもの
発見しやすくとりわけよく研究されている
ある塩基配列が既存の配列に挿入されたり既存の配列から削除されたりするもの 染色体の一部が切断されて同じ染色体内あるいは他の染色体上に付着して位置を変えることで、長い遺伝子あるいは非遺伝子配列が重複や転位をすること 残りの二つのタイプは最近注目を集めているもの
数塩基(たとえばCCGなど)を単位とする配列が繰り返し並んでいるもので、反復するコピー数は世代とともに増加することが多い
タンデムリピートは欠失・挿入(インデル)のサブカテゴリーとみなされることもあるが、インデルはもっと長い塩基配列の単発的な欠失・挿入に用いられるのが通常である イヌではゲノム全域にわたって伸長や短縮が見られ、一塩基の置換よりも頻度が高い
直列重複と同じように、CNVでも特定の塩基配列の反復によって伸長が起きるのだが、反復単位は直列重複よりもかなり長い
今の所、イヌの表現型に関わる突然変異のゲノムマッピングのほとんどは、点突然変異、複数塩基の欠失と挿入、遺伝子重複・転移に限られている この突然変異はIGF1タンパク質自体は変化させないが、その合成速度を変化させる
特に興味深いのは、この突然変異がDNAの非コード領域(ゲノム中で、タンパク質のアミノ酸配列の情報を持たない部分)のトランスポゾン(ゲノム内のある部位から他の部位へと位置を変えることのできる特定の配列)部分に位置するということ 近年ますます明らかにされていることだが、DNAの非コード領域の機能のこのような変化は、全生物の進化において決定的な役割を果たしているのである
眉毛や口、顎の領域など、イヌの顔面に長毛が部分的に生えることがあり、犬種によっては19世紀の老紳士然とした風貌になる
被毛の質に見られる他の特徴は、DNAのコード領域(ゲノム中、タンパク質のアミノ酸配列の情報をもった部分)で起こった複数の突然変異によるもの これらの突然変異は被毛の生成に関係するタンパク質を変化させる
オオカミの被毛は短毛あるいは「スムース」と呼ばれるものであり、ここで挙げた被毛の質に関する三つの突然変異はまったく見られない
ということは、この突然変異はイヌの家畜化の過程で起こったはずだ
複数の犬種のゲノムの調査結果から、被毛の質あるいは「毛衣(哺乳類の体表を覆う毛の総体)」の表現型のほとんどが、これら三つの突然変異の様々な組み合わせによるものだと説明できた だが、興味深い例外があった
この例外から考えるに、一部あるいはすべての「古代犬種」において、長毛など被毛の質に関する形質は近代的なヨーロッパ産の諸犬種とは独立して進化してきた可能性がある
被毛の色に関する特徴は、もっと複雑な遺伝的構造に由来する
キツネの家畜化実験からは、これらの対立遺伝子の一部は野生のオオカミに既に存在していたものであること、そしてそれが発生過程上で従順性と関連していたことが示唆される
だが、毛色に関する対立遺伝子の多くはイヌの進化の過程で新たに出現し、人為選択によって普通に見られるものになっていったものである
特に注目したいのは黒い毛色の突然変異
黒いオオカミは家畜改善には存在しなかったのだが、今や、特に北米ではかなり普通に見られるものになっている
このことからも、イヌの進化で交雑が重要なことがよくわかる
実際、現代の諸犬種の特徴となる特定の形質の組み合わせは、人間主導の交雑によって生み出されたもの
現代の巻毛の全犬種は巻毛の共通祖先から派生したもの
人為選択はケネルクラブの出現により強化され、その度合があまりに強くなったために、イヌの進化の過程が異常な方向へ捻じ曲げられてしまったケースもたくさんある
ケネルクラブと最近のイヌの進化
1988年のロンドンの自然史博物館の過去一世紀間のイヌの変化を追った企画展示
1888年にはどの犬種もそれほど特殊化していなかった
たとえば、トイ・ブリードは一般的に今よりも大きめで、大型犬種は今よりも小さめ
1988年には、体躯や骨格構造における犬種間の違いが概してかなり強調されていたのが印象的だったのが、なかでも特に衝撃的だったのはブルドッグなど、顔の短い品種の変化である
19世紀版のブルドッグも顔は押しつぶされてはいたが、それほどグロテスクには見えなかった
1988年の展示で示された急速な身体的変化は、イヌの進化の歴史において前例のないもの
1874年、ロンドンで初のケネルクラブが設立された
犬種標準を「維持」する使命は完全に失敗し、むしろ犬種の多様化を大幅に加速するように影響した
選択育種という選択圧は、人間がそれまでに動物に行ってきたどの操作をも凌駕するもの たった1匹の雄のチャンピオンが何百匹という子どもの父親となることもできた
さらに、チャンピオンは自分の娘達と交配させられた
このような人為選択により表現型は急速かつ大幅に変化するが、近親交配によって有害な突然変異が蓄積するのは避けられない 純血品種では、がんも猛威をふるっていて、もし人間の話なら大量発生といわれるぐらいの頻度で発症している
どの品種もそうだが、何らかの異常が特徴の一部になっているのが普通であり、特定のタイプのがんになりやすいのもその一つ
純血品種のほうが寿命がかなり短い
哺乳類には、大型種の方が小型種よりも寿命が長いという法則がある
ところが、諸犬種はそうではない
体重20キロ級のイヌの寿命は一般的に10~12年であり、トイ・ブリードの中には15~20年生きるものもいる
大型犬種が大型なのは成長が速いためである
成長が速ければ、一つの細胞が一分間に消費するエネルギーが小型犬種よりも多くなる
ほとんどの哺乳類では、大型種は実際には小型種よりもゆっくり成長する
小型種よりも長期間成長し続けるからこそ大型になる
大型種は小型種よりもエネルギーの消費スピードがゆっくりしている
心臓や骨格などに欠陥があった場合、成長の速い犬種では、成長の遅い犬種に比べてその欠陥の影響が顕著に現れる可能性がある
成長が速ければ細胞分裂も増えるので、がんの発症率も高くなる
だが、ブルドッグのような品種の場合は、遺伝的疾患は健康問題の一部でしかない ブルドッグは押しつぶされた顔はもうそれ自体が重い負担になっている 呼吸に問題を抱えている
過熱に弱く死に至ることもある
口が小さいため、歯がうまく口腔内に収まらなず、歯並びや歯周病
まぶたが完全に閉じられないこともあり、眼球が頭骨にぴったりはまらず飛び出すこともある
皮膚が過度にひだをなしているので感染症になりやすい
出産時に頭が大きすぎて産道を通らず、帝王切開が必要になるのが多い
激痛を伴うことがしばしばで、最終的には麻痺が出て死に至る
3~4歳になるまで徴候がはっきりと現れない
ブリーダー(育種家)はそこまで長く待ったりしない
保守的な創造性
進化には保守的な面もある
制限は確実に存在している
頭骨は多数の骨で構成されており、進化により変化する際には骨同士が互いに緊密に関係しあう 相関関係があるので単なる多面発現に帰することはできない それは、オオカミが進化するよりももっと前から進化していたもの
重要なことだが、どの生物でも発生過程全体は緊密に統合されている
ただし、発生過程を構成する相互作用全体のネットワークが、比較的独立して働く下位ネットワークに分けられることもある
たとえば心臓は膵臓とは比較的独立して発生する
モジュールというのはこの比較的独立した下位ネットワークのこと
オオカミの頭骨は実際には神経頭蓋と顔面頭蓋という二つのモジュールで構成されており、鼻づらは後者に属している 顔面頭蓋について見ていく
イヌでは東部の最大幅が最大長の80%以上である場合、短頭型に分類される
ブルドッグなどの短頭型犬種とボルゾイなどの長頭型犬種の頭示数の差は、イヌ科全体で見られる頭示数の差を超えている
このことから、人為選択は、オオカミやその他のイヌ科の動物の中でそれまで進化してきた遺伝子ネットワークを再構成することにより、頭骨と顔面のモジュールの発生過程における統合を突破してきたように見える
しかし実際は、オオカミやその他のイヌ科動物において頭骨の発生統合の土台となる遺伝子ネットワークはまったく変化していない
ブリーダーは、オオカミから受け継がれたがっちりと統合された遺伝子ネットワークの端っこを間に合わせ的に改造すること(ティンカリング)しかできない
モジュール自体はいまだにそのまま残っている
イヌの頭骨をネコの頭骨のように丸っこいものにするためには、改造よりももっと大きく手を加えること(モジュールの再構成)が必要だろう
イヌはオオカミから受け継いだものをよく保存している
食肉目中のイヌ科のメンバーとしての進化の歴史をも保存している
どれほど創造性が発揮されたとしても、過激な人為選択にさらされたとしても、それでもなお進化は根本的に保守的なのである